大祭たいさい

七十五膳据神事は当社にて春と秋に行われる大祭の献饌行事で、古くは陰暦9月中の申日に行われていた大饗会であります。備中の国内の諸郷から新穀をはじめとする産物を一宮である当社に献納し感謝するお祭りです。
殊に江戸時代には一ヶ月以上にわたり歌舞伎芝居やその他の興行も行われ賑わいを極めておりました。明治時代になると5月13日、10月19日の春・秋二度斎行されるようになり、昭和46年からは多人数を要するため、5月と10月の第二日曜日に斎行しております。

現在では300メートルに及ぶ廻廊の端にある御供殿(ごくうでん)という建物に大祭の世話人の方十数人が集まり、七十五膳やその他の神饌、神宝類、奉供物を前日までに準備いたします。膳の形は御掛盤・平膳・高杯・瓶子など種類がありますが、どれも黒漆塗りの立派なものであります。それぞれの膳には春は白米、秋は玄米を蒸して円筒形の型にはめて作った御盛相(おもっそう)を中心に鯛や時節の山海の珍味で四隅をはり、柳の箸が添えてあります。

小忌衣(おみごろも)を身にまとった奉仕者が、御掛盤は二人一組で両側から捧げ持ち、平膳その他は一人で捧げ持ち順番は並び行列をつくります。百数十人の長い長い奉供行列は多数の見物客の見守る中、御供殿から粛々と廻廊を進み南随神門に着くと一旦立ち止まり、宮司が随神門の神に祝詞を奏上します。そして再び進み御本殿前に到着すると、そこで待機中の伝供役が、奉供者が持ち運んできた神膳やその他の供物を受けて御本殿内部の祭員に渡し、祭員は所定の場所に是を献供いたします。この日ばかりは広い本殿内部も神膳やお供物でいっぱいに埋まってしまいます。

お供えが終わりますと宮司が祝詞を奏上し、参列者の皆様が玉串を御奉奠され直会会場に移動し祭事は完了いたします。午前11時ごろ御供殿出発に始まり午後1時ごろ本殿退下する荘重な祭典であります。




ところで、七十五のお膳が供えられるわけでありますが、なぜ七十五という数なのかについて申しますと、往古の最大吉数八十一の次の吉数である七十五という説。当社の神座数が七十五あり一膳ずつ献供するため。また村落数が七十五あり各村々から一膳ずつ献供したという説など諸説ありますが、この神事は御祭神の温羅を退治し凱旋した時の模様を加味しているとも思考されることから、村落数説がもっとも有力な説ではないかと思われます。

その他 吉備津神社に伝わるもの