境内古図けいだいこず

境内古図

18世紀後期-19世紀前期 江戸時代
岡山市 吉備津神社

巻頭と巻末に、この図の由緒を中川重直なる人物が1866(慶応2)年に記している。それによると「この図は我が家に伝わったもので、自分が幼い頃には祖父が何くれとなく物語してくれたものであるが、長い間気にもかけずしまい置き、久しぶりに出してみたらシミの住処となっていて、写した年号も失われてしまった」とある。

縦56.2cm、図の長さ237.5cmの巻物には、本社(本殿)から新宮大明神(新宮社)まで延々と続く同廊が描かれている。瀧宮(瀧祭神社)の向かいには遙拝所(ようはいしょ)の様な建物があり、廻廊の一部はそちらに向かっている。

  • 境内古図 18世紀後期-19世紀前期(巻頭)

    境内古図
    18世紀後期-19世紀前期
    江戸時代 岡山市 吉備津神社(巻頭)

  • 境内古図 18世紀後期-19世紀前期(巻末)

    境内古図
    18世紀後期-19世紀前期
    江戸時代 岡山市 吉備津神社(巻末)

応永天正の昔の様子だとあるが、仏教的な建造物はいっさい描かれず、鬼城山、岩屋山、楯築山、鯉喰宮、血水川、矢喰合宮といった鬼退治伝承に関わる場所や南北に延々と延ぴる廻廊などを描くのに力を入れている。

吉備津彦命の活躍と吉備津神社の壮大さを物語りするために、江戸時代後期、言い伝えなどをもとに製作したものではないかと見られる。

吉備津神社境内図

19世紀中期 江戸時代
岡山市 吉備津神社

藤井高尚の学問所敬業館が御竈殿の東、廻廊脇に描かれ、御竈殿の北には瓦葺の立派な能舞台が建てられている。この能舞台は1835(天保6)、真野松蔭・野崎太平治という資産家によって寄進されたもの。

また本宮参道の南西には、長屋門と土塀に固まれた大きな神領役所(役場)が設けられている。江戸時代後期の境内・門前町宮内の繁栄をうけて、各施設が立派になっている様子がわかる。

吉備津神社境内図 19世紀中期

吉備津神社境内図
19世紀中期
江戸時代 岡山市 吉備津神社

その他 吉備津神社に伝わるもの