応永天正の昔の様子だとあるが、仏教的な建造物はいっさい描かれず、鬼城山、岩屋山、楯築山、鯉喰宮、血水川、矢喰合宮といった鬼退治伝承に関わる場所や南北に延々と延ぴる廻廊などを描くのに力を入れている。
吉備津彦命の活躍と吉備津神社の壮大さを物語りするために、江戸時代後期、言い伝えなどをもとに製作したものではないかと見られる。
18世紀後期-19世紀前期 江戸時代
岡山市 吉備津神社
巻頭と巻末に、この図の由緒を中川重直なる人物が1866(慶応2)年に記している。それによると「この図は我が家に伝わったもので、自分が幼い頃には祖父が何くれとなく物語してくれたものであるが、長い間気にもかけずしまい置き、久しぶりに出してみたらシミの住処となっていて、写した年号も失われてしまった」とある。
縦56.2cm、図の長さ237.5cmの巻物には、本社(本殿)から新宮大明神(新宮社)まで延々と続く同廊が描かれている。瀧宮(瀧祭神社)の向かいには遙拝所(ようはいしょ)の様な建物があり、廻廊の一部はそちらに向かっている。
応永天正の昔の様子だとあるが、仏教的な建造物はいっさい描かれず、鬼城山、岩屋山、楯築山、鯉喰宮、血水川、矢喰合宮といった鬼退治伝承に関わる場所や南北に延々と延ぴる廻廊などを描くのに力を入れている。
吉備津彦命の活躍と吉備津神社の壮大さを物語りするために、江戸時代後期、言い伝えなどをもとに製作したものではないかと見られる。