神宝じんぽう

明和六年 本殿棟札(ほんでんむなふだ)

国宝本殿 附
1769(明和6)年
岡山市 吉備津神社

江戸時代に吉備津神社本殿の修理は何度かおこなわれている。残された記録から1616(元和2)年、1683(天和3)年に屋根葺き替え工事が行われていることがわかる。

本資料は天和の屋根葺き替え工事から約80年を経過した1759(宝暦9)年に発願され、1769(明和6)年に完成した際の修造工事の棟札である。

明和6年 本殿棟札 国宝本殿 附

明和6年 本殿棟札 国宝本殿 附
1769(明和6)年
岡山市 吉備津神社

弘化三年 本殿棟札(ほんでんむなふだ)

国宝本殿 附
1846(弘化3)年
岡山市 吉備津神社

明和の修造から六十六年を経過して、1835(天保6)年にも本殿の修造、屋恨の葺き替えが発願された。本資料はその際の棟札で、1846(弘化3)年四月に完成したことがわかる。明和の棟札と同じく国宝本殿附指定されている。

弘化3年 本殿棟札 国宝本殿 附

弘化3年 本殿棟札 国宝本殿 附
1846(弘化3)年
岡山市 吉備津神社

木造 獅子狛犬(ししこまいぬ)

国指定重要文化財
13世紀 鎌倉時代
岡山市 吉備津神社

木造寄木造、漆下地に彩色。向かって右には口を開いた(阿(あ)形)獅子、左には口を結んだ(吽(うん)形)狛犬が、神域を守護する。この一対を併せて狛犬と称することが多いが、厳密には頭上に角を有するものは空想上の動物である狛犬であり、いわゆる獅子(ライオン)と区別する。

眉根を寄せ前足を前後に構える獅子、目を見聞き足を踏ん張る狛犬、ともに高さ91.0cmもある。狛犬は本来銀色の身体に群青のたてがみだったと想像されるが、銀箔と群青は今日では黒く変色している。獅子の身体の金は今日もなおその輝きを失っていない。

獅子狛犬の両像とも全身に力をみなぎらせ威嚇の相を見せる。鎌倉時代は快慶をはじめ慶派の仏師たちが活躍し生気にあふれた優れた仏像を造形した時代で日本彫刻史の黄金時代とも位置づけられるが、動物彫刻の分野においてもまた同様にその時代に息づいた優れた造形感覚が生かされたことが証明される作品である。その生気あふれる姿から、1351(正平6=観応2)年の火災の折には、この獅子狛犬が口に木を咥(くわ)えて火を消そうとしたという伝承も生まれた。

  • (郷子)木造獅子狛犬

    (郷子)
    木造 獅子狛犬
    国指定重要文化財
    13世紀 鎌倉時代 
    岡山市 吉備津神社

  • (狛犬)

    (狛犬)

焚鐘(ぼんしょう)

重要美術品
1520(永正17)年
岡山市 吉備津神社

かつては吉備津神社境内に鐘楼があった。しかしながら、享保年間に神仏分離が行われてからは鐘楼は取り壊され、この梵鐘は長く放置されたままとなっていたらしい。1942(昭和17)年、重要美術品に指定され、太平洋戦争での供出を免れた。鐘身池(ち)の間(ま)部分に銘文があり、永正17年、阿曽の鋳物師と思われる林但馬守藤原家朝の工房で製作して、社務代生石兵庫助藤原家秀らが国家安泰を祈願して奉納したものとわかる。

乳(にゅう)は、縦帯で区画された四つの乳の聞に、各々縦四×横四に配置され、その数が少ない分それぞれが大きく力強い。また龍頭の表現も大胆で、戦国時代らしい豪放さが感じられる。

梵鐘 重要美術品

梵鐘 重要美術品
1520 (永正17)年
岡山市 吉備津神社

鉄造 風月燈籠(ふうげつどうろう)

17世紀江戸時代
岡山市 吉備津神社

鋳鉄製、高さ25.0cm、笠径28.7cmのつり灯籠で、粗い欽膚や「風月」の透かしが風雅である。胴に「承安元年辛卯 源三位頼政奉之」と陽刻があるが、この書体や意匠の好みから江戸時代初期のものと見られる。

源頼政は平安時代末期の武士。1171(承安元)年には正四位下であり、従三位に叙されたのは1179(治承三)年のこと。頼政が見事に紫宸殿の鵺(ぬえ)を退治した御礼として奉納したという伝承もあって、当時の人々に知られた英雄伝承に仮託して作られたものであろう。

鉄造 風月燈籠

鉄造 風月燈籠
17世紀 江戸時代
岡山市 吉備津神社

御釜殿棟札(おかまでんむなふだ)

1612(慶長17)年
岡山市 吉備津神社

鳴釜神事が行われる建物が御釜殿で、1612(慶長17)年に安原知種によって再建されたことがこの棟札によりわかる。

御釜殿棟札

御釜殿棟札
1612(慶長17)年
岡山市 吉備津神社

絵馬 虎図(とらず) 円山応挙(まるやまおうきょ)筆

1788(天明8)年
岡山市 古備津神社

円山応挙(1733~1795)は丹波国に生まれ、早くに上京し画業を修行し、「応挙」を名乗り始めた三十歳代前半頃からから三井寺円満院の祐常門主の知己を得るようになった。応挙の人気の理由は、装飾的で温雅・平明な画風にある。

絵馬 虎図 円山応挙筆

絵馬 虎図 円山応挙筆
1788(天明8)年
岡山市 吉備津神社

応挙画は三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれ、松村呉春や長沢蘆雪、森徹山などの門人を輩出し、円山四条派と称される一大流派となった。近県でも1787(天明7)年、金刀比羅宮障壁画などが有名でその人気が全国に及んでいたことがわかる。

虎に竹の図は伝統的な画題であるが、デフォルメされた虎の姿はどこか情緒があり、応挙らしい親しみやすさを感じさせるものである。

算額(さんがく)

1858(安政5)年
岡山市 吉備津神社

画面の縦46.3cm、横178.8cm、桧の一枚板に書かれている。前文は小野以正(ゆきまさ)が記し、以下門人四名の問題文と解答が記されている。

算額

算額
1858(安政5)年
岡山市 吉備津神社

門人は賀陽郡小寺村(現総社市)の谷田祇託、以下窪屋郡溝口生まれの藤田秀斎、窪屋郡構口町の高木秀貞、賀陽郡中嶋村小川豊度が解答を寄せている。小野以正(1785~1858)は、浅口郡大谷村(現浅口市)の大庄屋をつとめた小野光右衛門のこと。天文学・暦学・和算の大家として知れわたった。

算額(さんがく)

1869(明治2)年
岡山市 吉備津神社

三寸から四寸(12~15cm)の桐板材を並べた画面に前文・問題文・解答を記している。前文は小野以正の門人のうち筆頭格であった藤田秀斎が記し、以下、下庄の平松信孝、惣爪の秋山吉信、新庄の万成信重、下庄の平松賀孝が問題文・解答を記している。

算額

算額
1869(明治2)年
岡山市 吉備津神社

江戸時代後期、多くの学者や文人が行き交う山陽道に面したこの地では、和算塾も盛んであったらしく、吉備律神社からほど近い惣爪八幡宮には、子供から青年、また若い女性までそれぞれに応じてソロバンから高度な和算までを学ぶ和算塾の風景を描いた絵馬(1861・文久元年奉納)が奉納されている。

その他 吉備津神社に伝わるもの