国宝 本殿拝殿こくほう ほんでんはいでん

本殿の大きさは桁行き48尺3寸(約14.6m)、梁間58尺3寸6分(約17.7m)、棟高(土台下端から箱棟上端まで)39尺6寸(約12m)、建坪78坪3強(約255m²)の大建築であり、京都の八坂神社につぐ大きさがあり、また出雲大社の約2倍以上の広さがあります。

白漆喰で築いた亀腹の上に北面して立つ一重の神殿で、軸部の柱は径1尺6寸(約48cm)の円柱で高さ20尺(約6m)のアスナロウと云われる材を内外あわせて68本使っています。入母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び全体を桧皮で葺き上げ、ひとつの大きな屋根にまとめた大胆極まる構造で、上から見ると棟はカタカナの「エ」の字型になっています。建築学上では『比翼入母屋造』と云い、全国で唯一の様式であるので、単に『吉備津造り』とも云われます。

東大寺再建に尽力した僧重源が大陸よりもたらした大仏様の『挿肘木』といわれる組物により、この本殿のきわめて深い軒や回縁を支柱もなしに一軒でつくり、実に美しく調和した建築美を生み出しています。

本殿・拝殿は過去2回の火事によって焼失しましたが、現在の本殿・拝殿は今から約600年前の室町時代 将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて応永32年(1425)に再建されました。 それ以来 解体修理もなくその雄大な姿を現代に伝えています。

本殿内部は、外陣、朱の壇、中陣、内陣、内々陣と別れており、中央にいくにしたがって、床も天井も高くなり天井の模様も異なります。外陣と中陣の大部分は天井を張らない化粧屋根裏であり、中陣の前面一間通と朱の壇は格縁天井を張り、内々陣は舟底天井となっています。また朱塗り、丹、胡粉(ごふん)などで美しく塗装し、仏教建築の影響もみられます。現在外部は素木になっていますが、当初は丹塗りが施してあったと思われます。



拝殿は本殿の正面に接続して突き出した建物で、本殿と同時期の再建で柱間は正面1間(26尺6寸4分)、側面3間(32尺2寸8分)、棟高39尺(約 12m)、建坪23坪強(約78.5m²)の大きさです。柱は本殿と同じ太さの円柱を用い、挿肘木による大仏様の組み物をそなえ、外観は重層内部は屋根裏まで見とおした構造で正面は切り妻となり屋根を桧皮で葺いています。前面と両側面には一間通の裳階(もこし)をつけ、その屋根は本丸瓦葺になっています。日本全国に例のない独特の形式であります。

明治43年の遷宮のとき、この拝殿だけは解体修理が行われ柱の一部が取り替えられました。

本殿との境に七級の木階を設けて連絡しており、本殿と拝殿はもともと一体のものとして設計された建物で、国宝目録にも『吉備津神社本殿・拝殿』として一体に数えられています。

その他 吉備津神社に伝わるもの