「吉備津神社」の日本遺産
「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」
のストーリーが日本遺産に認定されています。
構成文化財27件の内、8件が当神社のものが指定を受けています。温羅伝説のロマンを感じてみてください。
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吉備津神社の鬼面
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吉備津神社本殿の丑寅角にある宮、艮御崎宮に、吉備津彦命に退治された温羅がまつられています。温羅の顔を思わせる鬼面も伝わっており、桧材の大型の面で、深い彫りで頭髪や眉を大胆に表現しています。額に角をさし込んだ穴が残っていることから鬼面だと分かります。
矢置岩と矢立の神事
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吉備津彦命が温羅との戦いのときに射る矢を置いたとされる岩で、吉備津神社にのこされています。吉備津神社には、祭神である吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ「矢立神事」が行われています。
吉備津神社
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吉備の中山のふもと、岡山市吉備津に位置しています。作られたのは仁徳天皇の代と伝えられ、吉備津彦命とその群下がまつられています。春・秋の大祭、矢立神事、鳴釜神事などたくさんの神事が伝えらえています。
吉備津宮勧進帳
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吉備津神社の修復費用を集める目的で、勧進を行ったものであり、吉備津宮社僧寺本願寺の本寺であった金山寺に伝わっています。吉備津宮の縁起や由緒が記され、吉備津彦命の鬼( 「鬼神」「奥国冠者」と表現)退治を内容とする部分や御竈殿の記載もあります。
境内古図
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吉備津彦命の活躍と吉備津神社の壮大さを物語りするために、江戸時代後期、言い伝えなどをもとに製作したものではないかと見られています。
吉備津神社御竈殿
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吉備津神社の施設。吉備津彦命が、捕らえた温羅の首をこの御竈殿の釜の下に埋めたと伝えらています。
それでも裏のうなり声は止むことなく、あたりの村々に鳴り響いたとされています。
鳴釜神事
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釜からでる音の大小長短により、参拝者の祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事。
江戸時代の作家、上田秋成の小説集、雨月物語の中に「吉備津の釜」として紹介されています。山陽道を往来した文人達もこの不思議な「鳴動釜」のことを多く記しています。
鬼ノ城
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総社市奥坂にある標高約400mの場所に築かれた古代の山城。
山頂付近には約2.8kmにわたって、石垣や土塁でできた城壁がめぐらされ、倉庫や東西南北4つの城門、ふもとの水門跡などが発見されています。
なぜ築かれたのか、その真相はいまだ証明されていません。
鬼の釜
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鬼ノ城への登山道にのこされた、直径1.8m、深さ約1.4mの鉄の釜。温羅がさらった人をゆでた釜と伝えられています。
鉄は地元総社市の阿曽のもので、古くからこの地域一帯に鉄が豊富だったことを思わせます。
血吸川
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総社市東部に流れる川。吉備津彦命が放った2本の矢のうち、1本が温羅の左目に命中し、吹き出す血で出来た川と言われています。
矢喰宮
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吉備津彦命が射た矢と、温羅の矢が空中でぶつかって落ちたところとされ、その弓矢をまつっているとされています。
そばに生えている竹は吉備津彦命の射た矢が根付いたものとも言われています。
鯉喰神社
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赤浜地区から南東へ約2km、足守川沿いにある神社。
吉備津彦命の部下の楽々森彦命と温羅がまつられています。
鯉に化けて血吸川に逃げる温羅を、吉備津彦命は鵜となって追いかけ、喰い上げた場所と伝えられています。
拝殿にには鯉の絵も見ることが出来ます。
楯築遺跡
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倉敷市東部の丘にある資重な古代祭祀の遺跡で、国の史跡に指定されています。
もとは吉備津宮の末社で、巨石が円形に配されて、楯を築いたようであるのが名前の由来です。
温羅を討つための戦の準備として築いた石楯ということが伝えられています。